レビューは試験ではないことがわかってきた

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ポエム 働き方 キャリア レビュー 心理的安全性 中途未経験

昨年の4月にITエンジニアへと転職し、リモート環境で保守・開発をしてきました。 入社してから社内のテックリードが割り振ったタスクをもとに実装をし、PRを出してその方にレビューをしてもらうという流れが10ヶ月ほど続いていました。

実装や技術的な問題解決に取り組むことは楽しい一方、レビューを受ける際にプレッシャーを感じていました。 というのも「レビュワーの正解を探し当てる必要がある」と無意識に考えていたからです。

このような思考に陥った背景には、私が「中途 & 未経験で業界に入った自分には圧倒的に知識と経験が足りない」という劣等感を抱いていたことと、前職の文脈が影響していたのだろうと思います。

自分がレビューをするようになって気づいたこと

自分自身がレビューをする立場になったことで、レビューに対する認識が大きく変わりました。 レビューは「試験」ではなく「お互い知見・判断を持ち寄り、より良いものを作るための対話の場」であることを実感したのです。 自分が過去に経験した課題や知っている解法を提案としてコメントしますが、それが唯一の正解だとは思っていません。あくまでも提案であり、更に適した解法があればそちらを採用したい。という思いでレビューをしています。

このような認識の変化により、自身のPRについたコメントは批判ではなく嬉しい意見として捉えられるようになり、レビューに対する過度な不安や落ち込みがなくなってきました。

無謬性は存在しない

さらに、レビューを経てマージされたコードにも後から修正が入ったり、仕様変更によりやり直しが発生することも少なくありません。

こうした経験を通じて、「その時点での最善」が後になって変わること、「絶対的な正解」は存在しないという前提を実感として受け入れられるようになりました。

逆に言えば「自分の提案や設計次第でプロダクト全体の質が変わる」という事実を強く意識するようにもなりました。 ただ言われたとおりに作るのではなく、自らの判断や提案がプロダクトに影響を与えるというコントロール感を強く持てるようになったと思います。 より主体的に開発に関われるようになったかなと。

なぜ今まで実感できていなかったのか

知識としては当たり前のことですが、なぜ実感できていなかったのか。 おそらく「評価される側」という立場から抜け出せていなかったことと、前職で身についた文化の影響が大きかったのだと思います。

私は以前は役人として働いていましたが、そこでの仕事は無謬性が極めて強く求められていたと記憶しています。 前例主義・形式主義・間違えないようにするための決裁というプロセス…

その文脈をエンジニアの世界に持ち込んでいたから「決裁 = レビュー」という無意識の変換をしていたのでしょう。

これから

今後は、レビュー時のコメントの書き方にも、これまで以上に気を配っていきたいです。 私自身が前述のような経験をしてきたからこそ、コメントを受け取る側のコンテキストによって心理的な負担の感じ方が変化することを理解しています。

「これはあくまで一つの提案であり、私の意見が唯一の正解ではないよ」というスタンスが、コメントからも自然に伝わるようにしたい。一緒により良い選択肢を探す姿勢を言葉に込めることを意識していきます。

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